しあわせ地域ケーススタディ04 佐久市
若月俊一医師が築いた農村医療の礎
長寿の県として注目を浴びる、長野県。そのなかでも、軽井沢に隣接している佐久市は男性の平均寿命が81.7歳と長野県内で8位、女性の平均寿命は88歳で県内1位と、全国でもトップクラスだ(平成22年現在)。しかし、昭和30年代、長野県は脳卒中での死亡率が全国1位に、旧佐久市は長野県の平均よりも死亡率が高かった。3人に一人が脳卒中で死亡するという状態だったのだ。そんな佐久市が、全国がうらやむ、長寿の町になった秘訣はどこにあるのだろうか?
地域医療の先駆者として、南佐久郡臼田町(現佐久市)にある、JA長野厚生連「佐久総合病院」の故若月俊一院長の存在は外せないだろう。終戦間近の昭和20年3月に赴任してきた若月先生は、農民の置かれている劣悪な暮らしぶりを見て愕然としたという。「農民とともに」の精神で農村住民の中に積極的に入り込み、「出前診療」や「全村健康管理」を全国に先駆けて行ってきた。「予防は治療に勝る」という考えのもと、出張検診に演劇を取り入れ(A)、予防することの大切さをわかりやすく住民たちに説いた。娯楽のほとんどない農村では、大変、喜ばれたという。
「若月先生がよくおっしゃっていたのは、地域あっての地域医療であるということ。住民たちと酒を飲んでは、膝をつきあわせて対話していました。我々、若い医師に“病院の中にいるな。農民たちの本音を知りたいんだったら地域に出て行け”ということを言い続けていましたね」と、佐久総合病院地域ケア科医長の北澤彰浩医師は話す。
地域の健康を守る保健補導員の育成と指導
佐久総合病院から車で15分ほどのところに、佐久市立国保「浅間総合病院」がある。初代院長の吉沢國雄先生も若月先生と同じく、地域医療に多大な功績を残した一人だ。昭和34年に院長に就任されて、まず行ったのが旧東村(現佐久市)の地域診断だった。住民の生活環境、衣食住の実態、健康状況の調査を開始。その結果、タンパク質の摂取不足、塩分の取り過ぎ、部屋が寒いことなどが脳卒中の原因として見えてきた。
例えば寒い部屋はカーテンを上から下まで吊るし、窓や戸の隙間に目張りをし、一部屋だけでも暖かい部屋をつくる、などの指導をスライドを使って啓蒙していった。脳卒中予防の取り組みをきっかけに、吉沢先生が長野県下に「保健補導員会の結成」を呼びかけ、昭和46年に長野県国保地域医療推進協議会が設置。保健補導員会とは、住民自らが健康を守る自主的住民組織だ。この年、佐久市では450人の保健補導員を各地域から選び、市役所から健康管理室の係長、ケースワーカー、栄養士、浅間総合病院の医師 2名が保健指導医となった。まさに、住民と行政、病院が一体となって地域の健康予防に尽力した例だ。そんな、ふたりの先人たちが築いた地域医療のスピリットは現在も脈々と医師や住民の中に活きている。
訪問看護が全国一住民に浸透している地域
現在、佐久総合病院の地域ケア科が早くから力を入れているのが、訪問看護だ。訪問看護とは病気や障害をもった人が家庭などで、その人らしく療養生活を送れるように看護師等が生活の場へ訪問し、看護ケアを提供するサービス。佐久地域に6つのステーションを設置し、700〜800名もの住民を対応している。在宅医療で重要になってくるのは、365日24時間の対応。佐久総合病院で、医師が夜間の往診に何回呼ばれたかという集計を取ったところ、ある月は200人患者がいるところに、4回しか呼ばれなかったという結果が出た。それは全国平均からすると、極端に少ない。
「その理由は、患者さんがその時間帯、代わりに訪問看護を利用していたということなんです。佐久地域では訪問看護が生活に浸透している証拠ですね。これは親戚関係や近所の人たちの間で、“訪問看護をお願いしたら良かった”ということが、口コミで広がっていったということでしょう」と地域ケア科の医長、小松裕和医師(C)は話す。平成21年の厚生労働省の調べだと全国の訪問看護の利用状況は長野県平均の約22人がトップだが、佐久市はそれを上回る37.8人、小海町(南佐久郡:佐久総合病院の訪問看護ステーションがある)などになると60.7人と驚くべき結果がでている。
また、佐久総合病院では、ケアマネージャー、ヘルパー、訪問のリハビリのスタッフ、歯科医師、薬剤師、デイサービスのスタッフなど、一事業所の枠を超えて、チームで連帯して訪問診療の治療に当たっている点も特徴的だ。そういった医療関係者を中心に、佐久医師会のサポートのもと、隔月で勉強会も行っている。
つながりが共感を生み喜びとなって「健康」になる
現在、佐久市の保健補導員の数は707人。2年の任期で持ち回り制のため、保健補導員の経験者は延べ25,000人もいるという。「経験者が増えることで、地域全体の保健意識の向上につながっています」と佐久市保健補導員会の会長、柳沢しめ子さん(B)。保健補導員は市が行う住民の健康生活推進のための保健事業について理解を深めるほか、自ら健康や生きがいについて学ぶことで健康意識を高め、自分の家庭、そして地域にその考えを広めるのが役割だ。保健補導員はもちろん、佐久市では全体的に住民の「健康」への意識が高い。その証拠として、健康を啓蒙する団体がたくさんあること、またイベントや勉強会が多いことがあげられる。
長野県栄養士会佐久支部では、「佐久ぴんころ長寿いろはカルタ」(D)を作成。ぴんころは「ピンピンコロリ」の略で、元気に長生きして大往生という意味だ。「オレ流に食べては栄養かたむくよ」「犬も歩いてダイエット」など、栄養士が自ら言葉も考えた。カルタは地域での高齢者の介護予防事業などで大活躍だ。
「臼田地区 健康と福祉のつどい」はすでに33回も続く、健康と福祉をテーマにした福祉祭。臼田町時代に町が主催していたが、佐久市と合併した時に、住民の希望で自ら実行委員会を組織して継承されている。地域で活動している団体が集まり、地域住民の健康と福祉について、啓発するのが目的だ。
また、26回開催されている「佐久地域保健福祉大学」では、医療関係者や地域で活躍されている方が講師を務める講座を、住民が受けることができる。講座は全8回あり、受講後、卒業生は「同窓会活動」として培った知識を地域の保健や福祉の活動に活かすことが可能だ。現在、1,065人の卒業生がいて、268人が、地域支部の「機関紙班」や「人形劇班」、「食と環境班」など7つの班に分かれて活動している。
荻原武治さん(E:右)は、「佐久地域保健福祉大学」の卒業生で、「健康文化班」としてさまざまな活動に精力的に参加。会社を定年後、東京からUターンした。「市民の意識のレベルが高いんですよ。自分たちが健康づくりの主体者になって、その体験を仲間と共有し、それが文化となっているんです」と荻原さん。「食料を自給し、助け合いも自給し、そして地域の悩みは地産地消する。それが理想ですね」。
アロマセラピストの三ツ井克子さん(E:右から2番目)は「縁側ぼっこ」というコミュニティスペースを開いている。「昔は縁側で世間話するのが楽しみだった。悩みがあっても、近所の人たちに “うんうん”、と聞いてもらえる。地域の人に支えられて、元気を取り戻せる、そういった場所がこれからも必要なんですよね」。浅沼しげじさん(E:左から2番目)は、佐久総合病院のOBで現在高齢者生活協同組合で活躍している。「この活動を通じて、いろいろなお年寄りのみなさんの生き方を教えていただいています。私自身の人生の糧になっていることがたくさんあります」。
地域医療に大切なのは「つながり」だと話すのは、JA長野厚生連「健康管理センター」の中澤あけみ師長(E:左)だ。「健康関連の行事の案内についてチラシを読んだだけだと行かないけれど、知り合いに薦められたら心は動く。誘い合う文化が原点であり、それが意識改革につながっているんです。保健補導員や地域のいろいろな役割を持っている方もそう。初めはボランティア的な発想はないけれど、与えられたチャンスを試してみたら、自分のためにもなり、それが楽しくなって、自分の働きかけによって周りも幸せになったという経験の積み重ねが継承されているんです」。
人との「つながり」を持つことはソーシャルキャピタルが高いということ。ソーシャルキャピタルの高い地域に住んでいる人ほど健康的で、精神的なストレスを感じにくく、うつ病などになりにくいと小松医師は話す。佐久市の長寿は、住民の 「健康」への高い意識と、病院の取り組み、人との「つながり」のなかで育まれているものなのだ。